一貫性の原理(法則)とは、簡単に言うと、

「人は自分の行動に一貫性を持たせたがる性質がある」

というものです。

では、具体的にどんなものか、見ていきましょう。

一貫性の原理の実験例

分かりやすい例としては、「人は約束を守りたがる」というものがあります。

こんな実験があります。

Aさんが被験者の近くに行き、カバンを置き、何も言わずに去っていきます。

その後、泥棒役が現れて、
Aさんのカバンを持ち去ろうとします。

これを複数の被験者で試したところ、
泥棒役を呼び止めたのはほんのわずかでした。

次に、同じ状況で、Aさんが被験者に、
「このカバンを見ておいてください」
と頼んでおきました。

すると、今度は、ほとんどの被験者が、
泥棒役を呼び止めました。

2番目の実験では、「カバンの見張りを引き受ける」という意思表示を、事前にしていたことが効いています。

その意思表示と一貫させるために、そのような行動を取ったものと考えられます。

これが一貫性の法則の端的な例です。

人が一貫性の原理で動く2つの理由

ではなぜ、人は一貫した行動を取りたがるのでしょうか。

それには大きく2つの理由があるようです。

虚栄心

1つは虚栄心によるもの。

人は行動に一貫性のある人間を、
理性的であり、偽りがなく、信頼できる、
と高く評価します。

一方、行動に一貫性のない人間は、
賢くなく、裏表があり、信頼もおけない、
と言った具合に、低く評価します。

他人に対してそう評価してしまうため、自分自身は一貫性のある人間でありたい、と思うのです。

人は、一貫性のある行動を取り続けることによって、

「自分は理性的で、誠実で、信頼の置ける人間である」

という自己と他者の評価を確立したがるわけです。

利便性

もう1つは、利便性によるもの。

人は、何だかんだ言って、
一貫した生活を送る方がラクです。

その場限りの思いつきで、脈絡のない行動を取る毎日は、ただ疲れるだけで、実りの多いものにはなりづらいです。

一方、「この場合は、こう。この場合は、こう」

といった具合に、行動パターンを決めて一貫させておけば、どうでしょうか。

大抵のことについて、あまり悩むこともなく、だいたい正しい判断を下すことができるのではないでしょうか。

他人から説明を求められた時に、理由や根拠を説明することがたやすくなる、というメリットもあります。

つまり、生活するうえで、
一貫性は大きな省エネになるのです。

虚栄心と省エネ。

この2つが、人が自分の行動に一貫性を持たせたがる、二大要因だと言えます。

一貫性の原理が成り立つための4つの前提

しかし、どんなときでも、必ず一貫性の原理が成り立つわけではありません。

一貫性の原理には、4つの前提があります。

1.何らかの行動を始める
2.自分の意志で始める(コミットメント)
3.他人の目にさらされる
4.努力を要する

この4つの条件がそろっている時に、人は自分の行動を一貫させたがるようになる、ということです。

1つでも欠けていれば、一貫性の法則のスイッチは入りません。

では、この4つの条件が必要な理由を見ていきましょう。

1.何らかの行動を始める

何らかの行動が最初になければ、一貫性ということはそもそもありえないので、これは当然です。

2.自分の意志で始める(コミットメント)

例えば、強制的に守らせたルールや習慣は、強制力がなくなると、すぐに廃れてしまうことからも分かります。

いやいや押し付けられたルールを、強制する人がいなくなった後も、律儀に守り続けるような人はいません。

「これは自分の意志で始めたんだ」という意識が、その人自身に一貫性を保たせる圧力をかけている、とも言えます。

何らかの行動に、自分の意思で積極的に関わっていくことを、「コミットメント」と言います。

一貫性の原理の発動には、この「コミットメント」が重要な役割を果たします。

3.他人の目にさらされる

これについては、虚栄心が密接に関係しています。

自分の行動が他人の目にさらされているときに限って、人は一貫性を保とうとします。

何か目標を達成したいときは、周りに公言するとよい、というのは、この法則によります。

公言した手前、実現させないわけにはいかなくなるわけです。

逆に、誰にも知られない目標のために頑張り続けられる人は、そう多くはありません。

4.努力を要する

これについては、軍隊や未開人の「通過儀礼」が例として挙げられます。

軍隊や未開の部族では、自分たちの仲間、大人の仲間入り、ということを認めるために、新入りや若者に対して、拷問に近い身体的・精神的苦痛を味わわせます。

その多大な苦痛をくぐり抜けて、見事通過儀礼をクリアし、一員と認められた人は、その集団に対し、この上ない愛着と帰属意識を持つようになります。

これは、あれだけつらい思いをして、やっと入ることを認められた集団なのだ。

だから、ここに所属することには、この上ない意義や価値があるはずだ。

そう、この集団に属することは、最高に誇らしいことなのだ。

という、一種の自己正当化のような意識が働くため、と考えられます。

実は、軍隊や原始的な部族における、こういった暴力的な「通過儀礼」は、まさにこのような目的のためにこそ、存在しているのだという説があります。

はた目には人権侵害のようにしか見えませんが、内部の人間にとっては、自分たちの集団の結束を固め続けるために、なくてはならない「装置」として機能している、ということです。

他には、ダメな男に入れ込む女、という例もあります。

さんざん入れ込んだものの、何も返って来ない。

暴力は振るうし、借金はするし、
何もいいところがない。

それでも、あまりに入れ込んでしまったために、別れることもしづらい。

別れると、自分の今までの苦痛や苦労は何だったのか。

そのことを直視するのが恐ろしい。

そして、これまで犠牲にしてきた、いろんなことが無駄だったことを認めたくないあまり、「この人で正解だったんだ」と、たいしてありもしない長所を無理やり見つけ出し、無理に納得しようとする。

この心の動きも、上の「通過儀礼」による、
一種の洗脳に近いものがあります。

この「努力を要する」については、結局、

「努力が報われていたい、無駄になっているなんて信じたくない」

という損失を恐れる意識が、一貫性の補強に一役買っている、と言えそうです。

フット・イン・ザ・ドア~一貫性の原理とビジネス

3と4の説明でも分かるとおり、一貫性とは、人の虚栄心や、損したくない、損を認めたくない、という意識のなせる業です。

この性質は、あまりにも強固に、本能のレベルで私たちの意識に根付いているため、逆らうことは非常に難しいです。

そのため、これを利用することで、こちらの望むように相手の行動をコントロールできてしまう、ということがあります。

軍隊の通過儀礼はその一例です。

もちろん、これはビジネスにも応用されています。

たとえば、最初に、ごく簡単なアンケートに、厚意で回答してもらう、というところからきっかけをつかみます。

とにかく何でもよいから「コミットメント」を自発的に引き出すわけです。

それから徐々に要求を吊り上げていって、最終的には当初の目的だった、商品の売り込みを達成する、といった具合です。

ちょっとずつ「頼みごと」を繰り返していくので、一貫性を保ちたいその見込み客は、断ることもできず、ついついそれを聞いてあげるわけです。

そして気がついたら、結構な額の商品を買わされていた、ということに。

この手法は、フット・イン・ザ・ドアと呼ばれています。

ほんの少し開いたドアに片足を突っ込んで、少しずつドアを大きく開いていく、というイメージですね。

このように、人の一貫性を利用(悪用?)している例は、枚挙にいとまがありません。

しかし、私たちは、たとえこの一貫性の法則を熟知していたところで、決して悪用するべきではありません。

むしろ、一貫性の法則についての知識は、

「お互いにとって利益となるように、相手を導くためのもの」

という意識で臨むべきです。

では、どうすればいいのか?

答えは簡単です。

本当にその人のメリットになると確信できるものだけを売る

ということです。

中身はくだらないけど、儲かるから売りつけちゃえ、という発想はダメです。

道義的にもですが、実際的にも、クレームの嵐になって、商売が立ち行かなくなることでしょう。

お互いにとって損にしかなりません。

だったら、お互いにとって得になる取引を目指すべきです。

コピーライティングのスキルや、心理学の知識は、そのためにこそ使うべきです。

次回は、この一貫性の原理のビジネスへの応用例について、詳しく解説します。

一貫性の原理のビジネスへの応用は?

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