今回は、社会の物質的豊かさとお金の価値の関係と、「お金は汚い」という感覚の根源について考えてみたいと思います。

まず、次のお話を読んでみてください。

おとぎ話風ですが、大切な寓意が含まれています。

ずっとずっとむかしのこと。

あるところに、石ころがありました。

時は流れ、やがて人類が現れました。

そのうちの一人が、その石ころを見つけました。

珍しいものだと思い、その石ころを拾い、仲間たちに見せて回りました。

やはり仲間たちも珍しいものと思い、
しばらくその石ころをもてはやしました。

しかし、食べていくことで精一杯だった彼らは、やがてその石ころのことなど、忘れ去ってしまいました。

それからさらに数百万年が経ちました。

ふたたびその石ころを見つけた人がいました。

やはりその人も、珍しいものだと思い、その石ころを拾い、仲間たちに見せて回りました。

同じように仲間たちも珍しいものと思い、この石ころをもてはやしました。

今度はその石ころは、
忘れ去られることはありませんでした。

仲間たちはみんな、その石ころを欲しがりました。

自分の大事な食料や毛皮と交換したい、と申し出る人がたくさんいました。

その中で、いちばんたくさんの食料と毛皮を出した人が、その石ころを手に入れました。

手に入れそこなった人たちはくやしがりましたが、その石ころが他にもないか、自分たちで探すことにしました。

すると、どうでしょう。1つだけではなく、たくさん見つかりました。

彼らはその石ころを持ち帰り、とても大事にしました。

それからさらに年月が経ちました。

その石ころは、彼らだけでなく、他の部族たちのあいだにも知られ、みなが欲しがるものになっていました。

そして、その石ころを手に入れるために、人々は自分の大事な持ち物や食糧を、惜しげもなく手放すようになりました。

逆に、食べ物が欲しいと思った人は、その石ころを手放すことで、好きなだけ手に入れることができるようになりました。

人々は、その石ころを、
「輝くもの(gold)」と名づけました。

このお話を読んで、すぐに浮かぶ疑問としては、

なぜ最初は、この『石ころ』は忘れ去られてしまったのか?

ということだと思います。

その答えを知るためには、

なぜ数百万年後は、この『石ころ』はこれほどの価値を持つようになったのか?

という問題とともに考えてみるのがよいと思います。

石ころが価値を持つために必要な条件とは?

数百万年後には、その石ころは、

「物と交換できる」

という価値を持つようになりました。

やがて「輝くもの(gold)」という名前を与えられて、現在に至ります。

ところが、最初に発見されたときには、物と交換されたりすることなく、やがて飽きられ、忘れ去られてしまいました。

なぜでしょうか。

それは、その当時では、その石ころと交換できるだけの余剰の「物」が、彼らにはなかったからです。

彼らには、生きていくための最低限の衣食住以外には、何もありませんでしたし、またそれ以上の物が欲しいとも思っていませんでした。

こういう社会では、この「石ころ」は実質的な価値を持ち得ないわけです。

つまり、余剰がない社会では、「石ころ」の価値はゼロです。

逆に、物があふれている社会。

最低限の衣食住以外に、さまざまな余剰の物があふれている世の中では、そこに価値が生じます。

ここにいたって初めて、「石ころ」に過ぎなかったものが価値を帯びるようになるわけです。

しかも、物があふれていればあふれているほど、この「石ころ」の価値は上がっていきます。

このことは、逆に物が不足すればするほど、「石ころ」の価値が下がるということを考えれば、容易に理解できると思います。

このようにして、物があふれた現代の日本においては、この「石ころ」(お金)というものが、非常に大きな価値を持つ理由が説明できます。

つまり、価値というのは、常に相対的なもので、比較できるものがあって初めて量ることができるということです。

ちょうど鏡写しのような関係になっているわけです。

このことから、

  • 人がどれほどお金に価値を置いているかの度合いは、その社会の物質的豊かさを反映している。
  • 逆に、社会の物質的豊かさを見れば、そこに属する人がお金にどれほどの価値を置いているのかが分かる。

ということが導き出されます。つまり、

物質的に豊かな社会であればあるほど、
人は強くお金を欲しがるようになる

物質的に貧しい社会であればあるほど、
人はお金に興味を示さなくなる

ということです。

(これは個人レベルの話ではなく、社会レベルの話です)

「お金は汚い」という感覚の根源にあるもの

現在の日本は、間違いなく、物質的な豊かさを享受している社会です。

にも関わらず、「お金の話は汚い」という風潮が根強くあることも事実です。

これは不思議なことです。

上の理論からすると、現代の日本のような物質的に豊かな社会で、人がお金を強く欲するようになるのは、当然のことです。

というより、単純な客観的事実です。

ただ単に経済的な法則に従っているだけなので、それ自体は恥ずべきことでも何でもありません。

その人の人間性の問題ではないのです。

私たちは現在の日本のような社会に属している時点で、宿命的にお金というものに非常に大きな価値を置いてしまっているわけです。

それも無意識のうちに。

ですから、「大金を稼ぎたい」と考えるのは、別に不思議でも何でもありません。

そう考える人は、現代の日本人に宿命的に備わっている、この欲望に忠実と言えます。

無意識レベルで誰もが持っているものを、意識レベルでよく自覚しているというだけのことです。

金持ちはズルい?

それでは、この無意識レベルの宿命的な欲望を、意識レベルに持っていくのを妨げているものは、何なのでしょうか?

それは、「理想と現実のギャップ」だと思います。

つまり、大金を稼ぎたいと潜在意識的には思っているものの、実際に実現することは自分には不可能だと、はなから諦めているということです。

「願ったところで、そもそも不可能なんだから、しょうがない」

「かないっこない願望を持っても自分が苦しくなるだけだから、最初からそんな欲は持たない方がいい」

といったところでしょうか。

そしてさらに悪いことに、そういう意識を持っている人ほど、「お金は汚い」と考えてしまいがちなのです。

そういう意識の根底にあるものとしては、「大金を持つものは、ある種のズルをしている」という偏見があります。

「お金を得るためには、それにふさわしい価値を生み出さなければならない」

これが経済の大原則です。

月給25万円のサラリーマンでも、
年俸100億円の経営者でも同じことです。

このような偏見を持つ人は、この大原則を理解していない可能性が高いです。

そして、その判断は、「自分自身の人生において生み出してきた価値とその対価」という、自分だけの非常に狭い経験が基準になっています。

そのため、年収数億円という金額にふさわしい価値を、たった1人の人間が生み出せるはずがない、と決めつけてしまうわけです。

だから、「そんな大金を稼ぐ奴は、絶対どこかでズルをしているはずだ」となるわけです。

お金は汚い、という意識を変えるには

かなり大雑把で直線的なロジックですが、「お金は汚い」という観念の根底にあるのは、こういう意識です。

このような意識を持っている人は、絶対に成功できません。

だから、成功するためには、こういう意識を捨て去る必要があります。

どうすればできるでしょうか。

答えは上に述べた、

  • 大金を得るためには、それにふさわしい価値を生み出さなければならない
  • その人が得たお金の額は、その人が生み出した価値そのものである

という、経済の大原則を理解することです。

その原則を、理屈の上でも心情の上でも納得するためには、「何としてでも成功する」という強い意志を持ち、しっかり勉強する。

これに尽きると思います。

勉強して、知識を身につけ、実践して、結果を少しずつでも出していくうちに、

大金にふさわしい価値を1人の人間が生み出すことは、ズルでも絵空事でも何でもないんだ。

そしてそれは、自分にもできることなんだ。

という風に意識が変わっていくはずです。

まとめ

社会におけるお金の価値は、その社会の物質的豊かさに比例して上がっていきます。

そのため、現代の日本のような、非常に物質的に恵まれた社会では、人々は宿命的に、無意識のうちに、お金というものに非常に価値を置くようになっています。

そして、それにも関わらず、お金は汚いと何となく思ってしまう人が、少なからずいます。

実は、そう思っている人は、心のどこかで、

「大金持ちはどこかでズルをしている」

という感覚を持ってしまっています。

もしあなたにそういう自覚があるなら、

稼いだお金の額は、その人が生み出した価値そのものである

という経済の大原則をよく理解すること。

そのためには、自ら努力して、結果を出し、体験として実感すること、ということです。

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